マムシの呪い

2000年9月15日
春から夏にかけて、田舎の病院に勤務すると、マムシに噛まれて入院してくる人がたまにあり、そういう人たちはなぜか外科入院になる。
治療としては、マムシ抗毒素を注射し、腫脹が激しい場合には減張切開といって皮膚を切開することもある。
マムシを捕まえてきて焼酎の中に浸けておき、その焼酎を飲むと精がつくという、こちらの風習があるため、結構そういう患者が多い。
4年ほど前になるが、そんな病院に勤務していた頃のお話。

やはり、5月半ばだったと思うが、Aさんというマムシ咬傷の患者が入院してきた。
マムシがいたのに気付かず、庭で草を刈っていたら噛まれたとのこと。
刺されたのは、左手親指の付け根だった。Aさんはびっくりして手を引っ込めたため、マムシはすぐに逃げていったとのこと。
幸いなことに、Aさんの手の腫脹はひどくなく、抗毒素を注射して経過観察目的で入院となった。
翌日、今度はBさんという人が、やはりマムシ咬傷で入院してきた。
山歩きをしていたらマムシを見つけ、焼酎漬けにしてやろうと思い、捕まえようとしたときに噛まれたとのこと。Bさんは噛まれたことに腹を立て、マムシをその場で殺してしまったと言う。
刺されたのは右手親指の付け根。Aさんとはちょうど対称となる位置だった。
前日、Aさんと同じような場所を噛まれており、腫脹もあまりひどくなかったので、やはり抗毒素を注射し経過観察入院となった。

しかしその翌日、二人の様子を見に行くと、Aさんの方は、痛みも腫脹もあまりなく、明日にでも退院できそうだったが、Bさんの方は、腫れが前腕から上腕にまで達しており、痛みのためにのたうち回っていた。
結局、Bさんには減張切開を施した。切開により、痛みもだいぶん治まったようだが、それでもゲンナリとしていた。

Aさんはその翌日に退院となり、Bさんは結局2週間後にやっと退院となった。

マムシにしてみても、Aさんに対しては多少加減して噛みついたので、こういう結果になったのだろうが、外科病棟に勤務するおしゃべり主任看護婦は、
「Bさんは、マムシを殺したりするけん、呪われたったい。」とみんなに言っていた。
まさかとは思うが、これだけ症状に違いがあると、医者である私もマムシの呪いを感じた出来事であった。

みなさんも、マムシに噛まれても、決して殺したりせずに逃がしてあげましょう!
それと病院に行くことも忘れずに。

盲腸

2000年9月14日
「盲腸」と言ったら誰でも分かると思うが、もちろんあの右下腹部痛や発熱・嘔吐などを伴う炎症性の疾患である。
本当の病名は「(急性)虫垂炎」である。
正確に盲腸を説明するとすれば、「回腸(小腸)末端であるBauhin(バウヒン)弁から虫垂に至る結腸(大腸)の一部分」ということになる。
だから、「盲腸を切った」とよく言うが、本当に盲腸を切ろうと思ったら、Bauhin弁の機能上、盲腸だけではなく、回腸末端と上行結腸の一部まで切る回盲部切除を行わなければならない。第一、あんな2〜3cmの傷からは盲腸は取り出せないのである。
もちろん、医者サイドでも、虫垂炎と言うより盲腸と言った方がわかりやすので、そう言うことがあるのだが、本当は違うということをお見知りおきを・・・

と言うわけで本題・・・

右下腹部痛と言う主訴を聞いて、外科医がまず疑うのが、もちろん急性虫垂炎である。(医者の間ではアッペと言う。acute appendicitisを略してアッペ。)
その時の触診所見・採血結果・超音波などから、最終的に確定診断を出すのだが、アッペと診断がついたときから、外科医の葛藤が始まる。
第一の葛藤・・手術をするか、抗生剤点滴で保存的にみるか。
第二の葛藤・・皮膚切開はMcBurney(マックバーニー)斜切開にするか、傍腹直筋切開(パラレク・pararectal incision)にするか。
第三の葛藤・・仮にMcBurney斜切開にして、虫垂摘出が可能かどうか。
などなど・・・

抗生剤の選択が幅広くできる現在、第一の葛藤については最終的には患者との話し合いによって決まることが多い。(もちろん腹膜炎などを併発している場合には緊急手術を行うことが多い)
それで指標となるのが患者の痛みである。
「死にそうに痛いからもう切って下さい」とか「できるだけ手術はしたくないです」という患者の訴えで、ある程度判断することになる。
さて、手術をすることとなったときに襲ってくるのが第二・第三の葛藤。
McBurney斜切開というのは、右下腹部を2〜3cm斜めに切る一般的な方法(美容上優れており、比較的周囲に炎症が広がっていない場合に用いる)。パラレクとは、縦に5〜6cm切る方法(炎症が周囲に広がったり、虫垂が盲腸の後ろに癒着している場合などに用いる)である。
外科医の立場から言うと、パラレクの方がストレスがなくていいのだが、心情的には(特に若い女性であった場合には)McBurneyにしてやりたい。しかし、この判断基準は飽くまで総合的に判断しなくてはならない。
私が先輩に教えてもらった方法は、麻酔がかかった段階で触診してみて、腫瘤を触れるようならパラレクでいきなさいということであった。これで今まで何とかうまくいっている。

あなたがアッペになった場合、その診断を下した外科医は「盲腸だから切りましょうか?」と言いながら、上のような嵐のような葛藤に悩まされていることをお忘れなく・・・

痛がりの外科医

2000年9月13日
外科医たるもの、第一の仕事は人の体にメスを入れたり、縫合したりすることにある。
悪性疾患でも良性疾患でも、患者のためを思いそのようなことをするのである。
しかしそれが自分の身に降りかかってくるとなると話は別である・・・

ある日私は、同僚と酒を飲みに行った。
ここのところ非常に忙しく、みんなも参っていたのだが、ようやくその日飲みに行く暇ができたのである。
5人でのみにいって、最初はビールに始まり焼酎・日本酒と、個人の好みで酒がどんどん進んでいった。
大酒飲みである私は、もちろんのこと率先して焼酎を片手に大騒ぎしていた。
私が焼酎を5合ほど飲んだところで、次の店に行くこととなり、その店を出た。
まだ騒ぎ足りない私は、そばにいた後輩を羽交い締めにしようとしたところ、その後輩がフェイントで逃げたため、行き場を失った千鳥足の私は、その場にころんだのである。
・・・どうも肘を打ったらしい・・・
もうすでに痛覚は消失していたのでそれくらいの感覚だったが、見てみると肘がパックリと割れているではないか。
それを見た後輩が、
「先生、大丈夫ですか?ちょっと診せて下さい。・・・肘割れてるじゃないですか!これ縫わんといかんですよ。」と言ったので、私は、
「よかよか、こんなんはツバつけときゃ治る!」と、およそ医者らしからぬ言葉を吐いて次の店に行った。
出血はほとんどしてなかったので、大丈夫だろうと外科的に判断したのである。絆創膏を貼って飲み続けた。
それ以降のその日の記憶はない。

翌朝起きてみて、冷静にその傷を見てみると、結構深く、関節包にまで達していた。
幸いなことに関節包に傷はなかったので、単純に皮膚を縫うだけでよい。
「・・・しょうがない。縫ってもらうか。」と諦め、仕事が一段落ついたところで、その後輩に縫ってもらうことにした。

「だから昨日言ったじゃないスか。縫わんといかんって。」と言いつつも、研修医である後輩は縫合できることがうれしそうである。
「絶対、痛くしないでネ。」と思わず、私はオカマチックに言ってしまった。
後輩が縫合の準備を始める。
局所麻酔薬である1%キシロカインを注射器に吸い、針先を上にしてチュッと少し出す動作をしている後輩を横目で見たときに、突然ある恐怖心が私を襲った。
・・・あの針が俺に刺される・・・
普段は平気で患者に針を刺しているくせに、それが自分にされると考えると、耐えられないくらい怖くなった。
「お前、絶対痛くすんなよ!!」と、今度は恫喝的に後輩に言った。
「分かってますって。」と、軽い口調で注射針を私に向けた。
「ちょっとチクッとしますよー。」と、後輩が患部に針を刺し、1%キシロカインを注入しだした途端、何とも言えない激痛が走った。液体が組織の中で膨張する痛みである。
・・・ヌォォォォ!痛いではないか!何がチクッとぢゃ!・・・・
怒りにも似た感情がこみ上げる。
「いたたた!お前、痛くすんなって言ったろうが!!!」と、怒りの矛先を後輩に向けた私だったが、
「じゃあ、昨日縫っとけばよかったんですよ。酔っぱらってたけん、痛くなかったのに。」と、涼しい顔で返されてしまった。
このやり取りを聞いていたナースたちが寄ってきて、口々に後輩の味方をする。
「先生がそんなに飲むけんたい。」
「先生も患者さんにあんなに針を刺してるくせに。」
などなど、罵られながら縫合が終わった。

-----1%キシロカイン5ccにて患部を局麻後、3-0ナイロン糸にて皮膚および皮下組織を3針縫合し、手術を終了した。-----
手術記事にするとたったそれだけのことだが、患者の痛みがよく分かった出来事であった。
ついでに、自分がどれだけ痛がりかもよく分かった。
熊本の繁華街である下通りの近くに病院があるため、当直をしていると、昼間出会えないような奇妙な人々に遭遇する。

急性アルコール中毒はもちろんのこと、ソープ嬢もたまに診察する。
これらの話は、またいずれするとして、今日は当直していて腹が立ったことを一題。

その日の当直は、非常に平和で、23時過ぎにベットに就くまで、一度も呼ばれなかった。
・・・よしよし、こんな日もたまにあるんだなあ・・・
と、私はご満悦で眠りに就いた。
ところが、しばらくして当直室の電話がけたたましくなった。時計を見ると、2時半。
草木も眠る丑三つ時である。
「なに?」と不機嫌そうに電話に出ると、受話器の向こうの看護婦も不機嫌そうに
「患者さんです・・・」と答えた。
しょうがなく私は外来に降りていった。
外来にいたのは、40歳くらいの小太りなご婦人。見た目は何ともなさそうだが・・・
「どうしたんですか?」私は努めて優しく尋ねた。
「ねむれないんです・・・」とご婦人。
「いつからですか?」
「もう10日くらいになります。」
・・・この時点で、冷静な私の頭に血が上ってきた。
「10日も寝れないなら、どうして昼間に薬をもらいに来なかったの?」
「昼間はだるくて動く気がしないんです・・・」
・・・なぬ〜!ワシはあんたのおかげで寝れないんじゃ〜!・・・
と思いつつも、そこは冷静にアタラックスP25mg筋注、ハルシオン0.25mg内服の指示を出して、丁重に帰宅していただいた。
彼女は、30分もすれば、深い眠りに就くことであろう。
しかし、私は腹が立って、その日は結局5時まで眠れなかった。

私の睡眠時間はどうしてくれるんぢゃい!!
医学部の学生という存在は、勉学の対象が人体であるために、ふつうの大学生とはちょっと違う体験をするものである。
それに自分の体という最高の教材がいつもあるので、それを使って実験をしたりする。

私が医学部3年生の頃、生理学の勉強をしていると、挙睾反射なる見慣れぬ文字が飛び込んできた。
・・・なぬなぬ・・・
大腿内側をさすると、挙睾筋が収縮し陰嚢が上がる・・・
反射というのは、身体が感じた知覚的刺激が大脳に伝わることなく延髄で処理され、筋肉に信号を伝達し筋肉が収縮することをいうのだが、その時の私は、反射のメカニズムより先にこれを自分の体で再現してみる衝動に駆られた。
おもしろそうではないか!
居ても立ってもいれなくなった私は、その場でもぞもぞとパンツを脱ぎ捨て、太股の内側をさすってみた。すると、ちゃんと玉袋が収縮するではないか!

コレハオモシロイ!ダレカニミセナクテハ!

次の衝動に駆られた私だったが、モノがモノだけに考え込んでしまった。
しかし、ふとある考えが浮かんだ。
彼女がいるではないか!
当時の私の彼女は、医学部の同級生だったので、私の行動に共感してくれるに違いない。
そういうわけで生理学の教科書を片手にすぐに彼女のアパートに向かった。
幸運なことに彼女がいたので、上がり込んで
「見せたいモノがある!」と言っていきなりズボンとパンツを脱ぎ捨てた。そしておもむろに教科書を開いて
「挙睾反射って知ってる?」
下半身裸の私を見ながら呆然としていた彼女だったが、その語句を知っていたみたいで
「うん!見てみたい!」と言ったので、その場で実物の挙睾反射を見せ、二人で喜んだのだった。
メデタシ、メデタシ。

しかし、今考えてみると、大学生の男女二人が、一室にこもり、男が下半身裸で股ぐらをのぞき込んでいるという異様な光景は、はたから見たらかなりおもしろいであろう。

探究心が旺盛だった頃のお話である。

SHOGUN

2000年9月9日
すでにネタ切れ・・・
と言うわけで、今日は私が研修医の頃のお話。

私が研修していた病院では、手術中にリラックスできるように、CDプレーヤーがおいてあった。
そこで術者の好みの音楽が聴けるように、各個人が好きなCDを置いていた。
普段はほとんど洋楽しか聴かない私だが、唯一邦楽で聴いていたのがSHOGUNだった。(SHOGUNは松田優作の探偵物語で有名なやつです。)
結構いい曲が揃っていたのだが、その中でも一番好きだったのが「Otokotachi No Melody」という曲だった。
〜♪走り出したら 何か答えが出るだろう なんて・・・・♪〜
というはじまりだったと思う。
もちろん研修医なので、大きな全麻の手術はさせてもらえず、硬麻や腰麻の手術ばかりだった。患者の意識はある。
そんな手術の術者をしていたときに、麻酔科のドクターが、
「ちょっと、先生!!」と、小声で私の話しかけてきた。
「なんですか?」と、私がたずねると、
「この曲はやばいっしょ!」といったときに流れてきたフレーズが
〜♪運が悪けりゃ死ぬだけさー 死ぬだけーさー・・・♪〜
さすがに私もことの重大さに気がつき、すぐにCDを止めさせた。
それから、その病院のオペ室では、SHOGUNの名前は禁句となった・・・

禁煙-part2-

2000年9月8日
昨日のラパコレの後、結局、禁断のもらいタバコをしてしまった・・・。
その直後、オペ室を出たところで、別の同僚に
「禁煙どれくらい続いてる?」と聞かれたので、
「3分。」と答えてやった。
結局いつもこのパターンなんだよなあ・・・
と考えながら医局に戻る。

最近(と言ってもずいぶん前になるが)、ニコチネルなる禁煙補助薬が出ている。皮膚に張っておいて経皮的にニコチンを吸収させるのだが、保健もきかないし、なかなか手が出せないでいる。
使った患者に聞いてみると、夜、寝付けないとのこと。そりゃあそうだろう。
だって寝てるときにタバコを吸える器用な人はいないんだから。寝てる間にもニコチンが吸収されたら、体はたまったもんじゃない。
結局は自分の意志なんだよね。
患者には「タバコは体によくないですよ。」と言いながら、自分では吸っている意志の弱さに自己嫌悪に陥ってしまった一日であった。
まあいいや。また禁煙しよう。

この日記を書いている現在、禁煙継続中。
継続期間ただいま5分。

禁煙

2000年9月7日
禁煙を始めて1週間になる。
アメリカのある有名俳優が「禁煙なんて簡単だよ。僕なんてもう100回くらいしている。」と言うアメリカンジョークを言ったそうだが、なかなかな名言である。

それといった禁断症状はないのだが、仕事柄、無性にタバコを吸いたくなることがある。
例えば、オペが終わって手術記事を書いているときのあの一服のうまさ・・・
この日記を書いている今でも、検査を終えて一休みしているところだが、タバコのことが頭をかすめる。
これ自体が十分に禁断症状なのかもしれないが・・・

今日は午後からラパコレ。
オペが終わったときに同僚にもらいタバコさえしなければ禁煙は継続されるのだ!

まずは、自己紹介

2000年9月6日
日記なのに自己紹介とは変な話ではあるが、まあかたい話はヌキにして思いつくまま書いていこうと思う。
熊本に来て早12年の月日が流れたが、この12年で変わったことと言えば、体重が12kg増えたことくらいかな?
この熊本という土地は、私に着実に1kg/yearの脂肪組織を与えてくれた。
この12kgの脂肪を完全に燃焼するためには、108000kcalと言う莫大なエネルギーを消費しないといけない。成人男性が約40日で消費する熱量だ。
考えるだけでも怖ろしいから、これ以上計算するのはやめよう。
ま、そういうわけで、これから熊本に住む一医者の生活を、医学的知識も含めて書いていこうと考えている。
今日はこれくらいにしとこう。

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